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―Diary―

もうサイトとかいるんでしょうか
2010/07/09/SAT

毎日忙しくてですね。日記とか書く時間はないんですよ。
いや、嘘です。本当は時間有ります。ネットとか昼寝とかしなけりゃ時間はあります。
でも、それらは私に取って必要なことなんです……と思いましたが、それって単に欲望に逆らえていないだけですよね。

人間に三大欲求は、そう簡単に抑えられるものではないです。
それって私が獣に近いってことでしょうか。
でもリア充せず性欲を抑えていることから考えると、私は至極獣から進化した人類だと思いませんか。
あ、ただ生物としての本能を捨てた駄目人間なだけですねそうですねうんそうですはい。

話は変わりまして、私、非常にひ弱な人間なんです。
そりゃあ、肉体的にも精神的にも。
私のガラスのハートはとてももろかったんですが、最近のガラスはワイヤーフレームが入っていて、
ひびが入ってもそう簡単には割れないんですよね。凄いことです。
気付いたら、割れてないのに、ヒビだらけのガラスマインドかもしれません。

今はガラスハートのことなんかどうでもいいんです。体のほうの話。
幼少から人並みに病気がちで、風邪なんて大体引き終わったと思ってました。
近年では、一年に一回くらいしか風邪を引くことはなかったんですが、最近は一ヶ月に二回も引いてしまいました。
一回目は普通の風邪だったんですが、くそ真面目を体現したような私が大学を欠席するほどのものでした。
頭痛、発熱、喉の痛み、鼻水、鼻詰まり、咳。汎用風邪薬でどうにかなりそうな症状ですね。
ですが、どうにもならなかったので、病院に行きました。
コミュ障で対人恐怖症の自分には病院に行くのも躊躇います。行きましたけど。
人と話すより、体の内側から来る痛みのほうが辛いですからね。まだまだ捨てたもんじゃないです。

二回目の風邪は現在進行形で引いています。
先週エアコンがガンガンに効いている部屋で半日も遊んでいたせいです。愚かだなぁ、自分。
でも今回の風邪は喉が痛い以外には何の症状がなかったんですよね。
まぁ、鼻水と咳くらいはありましたけど、普通の症状だと思ってました。
いやぁ、愚かだなぁ、自分。コミュ障こじらすとろくなことがありません。
人に会いたくないから汎用風邪薬でなんとかしようとしてたら、別の症状が起こりました。
なんか耳の聞こえが悪くなったんです。耳に水が入ったようなくぐもった感じに。
流石にマズイかなぁ、と思って病院行ってきました。
自分がコミュ障であることを忘れるほどの危機感。
幼少のころ、十年間くらい耳鼻科通いだった悪夢が思い出されますね。
背に腹は代えられないので、一限目の授業を休んで病院へ。ああ、テスト近いのになぁ。
で、朝から病院へ行った診断結果。中耳炎&耳の中に水が溜まってました。

ってそのまんまじゃん!

普通の水じゃなくて、体液的な何かだと思いますが。
そいつが耳のとおりを塞いでるわけですね。片耳だけ水抜かれました。
耳の中って未知です。そんななかをいじくられてるだけで恐怖です。
耳の先には脳があるなんて知識がない方がよかったです。
何か針的なものをスブっと刺されて、ゴボゴボして、何か管的な物を入れられて、ジュルジュルされました。
激痛ですよ。ポーカーフェイスのクールガイがウリなのに左顔面の筋肉が引きつるくらいですよ。
医者から「調子悪いの?」なんて訊かれましたが、いや、それ貴方の診療の所為ですから!
十年通って、未だに全く信頼してない医師ですが、私に取ってわかりやすい人間なのでまぁいいや。
どうでもいい。
んで、風邪薬といろいろ薬もらったわけですが、どうやら治療は一度では終わらない様子。
そう言われたわけではないですが、十年来の勘です。
次いつ来れますか? とか訊くわけですよ。
私が断腸の思いで大学休んできてるのに、また行かなきゃならないのかよ! みたいな。
はい、体調管理できてない私が愚かでした。
さぁ、授業についていけず、テストがまともに解けなくて単位落とすのと、
耳の聞こえがどんどん悪くなるのとどっちがいいかなー?
それくらい、私でも損得勘定できますよ。

聴力の話。
昔花粉症から鼻を悪くし、連動して耳も悪くして以来、
モスキート音なんて都市伝説にしてしまえるほどの老人耳になってしまったわけです。
耳年齢は年齢の三十歳くらい上ですよ。若者撃退用高音スピーカーとかものともしませんよ。どうだすごかろう。
耳が聞こえにくいというのは、精神に多大な影響を及ぼします。
他人の話が聞こえない。聞き返す。申し訳なく思う。気分を害してしまう。話しかけてもらえなくなる。
自分の声の大きさがわからない。他人に聞きやすい音量・滑舌で話せない。判断できない。TPOに合わせられない。
これで、どうして喋ることが好きになれましょうか。
私が暗い人間であることの半分くらいは耳が悪かったことが原因じゃないかと疑っています。
でもそんなのって幼少の時の話です。
確かに人格形成には多大な影響を及ぼすかもしれませんが、
いい年した野郎が「子供の頃に〜」なんて言い出すのはみっともないです。
今なら自分を変えるなんて行動力さえあればできます。
でも今でもそういうのは一種のトラウマになってるし、さらに現在進行形で聴力が低下している上に水が入ってるとか、
もう会話なんてしたくなくなります。喉痛いし。
来週英語のスピーキングテストとリスニングテストがあるんですけど、どうすればいいんでしょうか。死ねばいいのかな。

文字は偉大です。
もしも言語というものが文字を持たずに音だけで構成されているものだったら、こんなにも惹かれることはなかったでしょう。
世界には文字のない言語もあるとか知ったことではありません。文字が開発された今、表音文字で代用できますよ、それ。
で、文字は耳が聞こえなくても読めるし、意味が汲み取れるし、口がきけなくても意思を伝えることが出来ます。スバラシイッ!
私が幼少から本好き少年だった理由ってなんなんでしょうね?
私はリアルでこんなにも言葉を発する機会はありません。
それってネット弁慶だから、ってことよりも発音するより文字で表現するほうが、
自分を簡単に表現できるからじゃないかな、と思うんですよね。はいごめんならいねっとでだけいばっててすみません。

この前読んだ「僕たちと駐在さんの700日戦争」の中に、耳の聞こえない女の子が出てくる話がありました。
とてもかわいい女の子でした。ハッピーエンドだったので、きっと幸せになるでしょう。
「図書館戦争」や「レインツリーの国」でも耳の聞こえづらい女の子が出てきます。かわいいです。
どうして女の子しかいないんでしょうか。耳の聞こえない男が出てきません。
あ、「暗いところで待ち合わせ」には目の見えない女の子が…
女の子ばっかりじゃねぇか!
男の性格が見え隠れしますね。

最近気づいたんですが、私は帽子萌えです。いや、そんなことどうでもいい。
もしかしたら障害者萌えなんじゃないか、と思ってるんです。
あ、怒らないでもうちょっと付き合ってください。
耳の聞こえない人や、目の見えない人の話を読んでどういう気持になるか。
可哀想だなぁ、助けてあげたいなぁ、と思いませんか。
それって、子供に対する母性本能と似てる気がしませんか。
本来「可愛い」という言葉は「可哀想」と語源を同じにし、自分より弱い存在に手を差し伸べたくなることを言うんです。
じゃあ、障害のある方を可愛いと思うのと可哀想と思うのはおんなじ心の動きなのかな、と葛藤したり。
不謹慎ですかね。
いや、不謹慎なんて言う方がかえって障害のある方に失礼です。
萌えっていうのも軽い言葉すぎて、誤解を招きかねませんね。
まぁ、「暗いところで待ち合わせ」のヒロインや、「レインツリーの国」のヒロインが可愛いと思ったことには理由があるんじゃないか、と思ったわけです。
ツンデレの心の弱みを可愛いと思うように、障害のある方の弱みを可愛いと思っているのでは、と。
それって私は人間のクズなのではないか、と。

「可愛い」という言葉も「可哀想」と言う言葉も、自分よりも弱い人間にしか使われません。
可愛いと何かを評するとき、それは自分と対等未満に見下して使っています。
どんなに可愛いと思ってたライオンも、自分に牙を向いたら可愛くないでしょう。
だから絶対に勝てるという立場の揺るがないねこを可愛いと思うんです。
小さいものが総じて可愛いと思えるのはそういう理由から来ます。
ほら、オタク向けキャラなんか、みんなロリロリしてるでしょう。
じゃあ、私は障害のある方を下に見ているのか? と自問します。
きっとイエスだ。 と自答します。
だって「助けてあげたい」なんて反吐がでる偽善の言葉に既に現れてるじゃないですか。
災害地域のボランティアなんかは「しない善よりする偽善」でいいと思いますが、
一人の人間と相対するとき、その人を見下して手を差し伸べて「あげる」なんてのはおこがましいにもほどがあります。
言いたいことがまとまらないし、
まとまったとして、それを言っていい言葉にまとまるのかわからないので、このへんにしておきます。

補助道具の話。
伊達眼鏡をかけてる奴はこの俺がたたき割ってやる。
ピースサインで目潰しをするのって、空中を飛ぶ二匹のハエを同時に捕まえるくらいの難易度らしいですね。
顔面に拳を叩き込む難易度はどれくらいのものなんでしょうか。
それはさておき。
伊達眼鏡ってなんなんでしょうか。眼鏡無しでは生きられない人間を舐めてんのかコラ。
ファッションの一部だとか、眼鏡萌えだとか、それって「アリ」なんですかね。
じゃあ、補聴器つけたり、白い杖ついたり、大きな取っ手のついた犬をつれたりして、
「これはファッションです」って言えんのか。
それ言ったら「不謹慎だ」って非難されますよね。
眼鏡の何が違うんでしょうか。
眼鏡は目の悪い人が仕方なくかけていて、顔につけるものだからデザインにこだわってるんです。
デザインがいいからかけてるんじゃなくて、かけるからデザインのいいものを選んでる。
伊達眼鏡って、眼が悪い人のことをなめくさってる態度に見えます。
もちろんそんなことを思って伊達眼鏡をかける人なんていないことくらい知ってます。
でも、やっぱり、眼鏡を必需品として生きる人間としては、そういう歪んだ視点から見ざるをえないんです。

そう考えたとき、小説に出てくる目の見えない人や耳の聞こえない人を「可愛い」と思っていた自分が
どれだけクズ野郎なのかが見えてきますね。
あ、ちなみに私も眼鏡萌えです。自分がかけるのは好きじゃないですけど。
もしかして、この眼鏡萌えも「眼の悪い人に萌えている」だけなんじゃないか、と思考の深淵に落ちて行くと
またまた話が長くなるので、それにまとまらないだろうことは、上の経験からわかっているのでやめておきますね。

そりゃ私が眼鏡萌えなところからも分かるように、眼鏡は可愛いし、格好良い。
ってことは、もしかしたら、私は伊達眼鏡に怒っているのではなくて、
眼鏡をかけても映える美人やイケメンの容姿的な面に嫉妬しているのかもしれません。
「視力弱者の軽視」と言っておけば、義憤という名目が立てられますからね。
まぁ、自分の本心なんて、自分では分からないものです。
「私」なんて存在は「わたし」の表層のさらにその一部でしかなくて、
「わたし」という存在が何を考えているのか、なんてわかりません。
でもきっと深淵のわたしたちは、こう考えているはずです。

リア充爆発しろ。

「リア充爆発しろ」って努力も何もしないで、「お前気に入らないから消えて」っていうことですよね。
なんて都合のいい言葉だろう。
そんなことを言うだけで、何も行動しないからリア充になれないんだよ。
いい加減気づけよ、私。
そうは思っても、幼少期のトラウマなんてものは、そう簡単に払拭できないし、
自分を変えるなんて行動力さえあればできると分かっていても、最初の一歩を踏み出すのは難しいんです。
でもまぁ、悔いが残らないように生きていきたいなぁ、とか思ったりします。
まずは、この耳を治してからね。


新学期ですね
2010/04/16/SAT

凄いお久しぶりです。2ヶ月くらいでしょうか。
ツイッターが楽すぎるんで、サイトとは違ってどうでもいいことばっかりつぶやいてます。
あ、このサイトも割とどうでもいいですね、そうですね。

ブログとウェブサイトの違いは全然わからなかったんですけど、ミニブログまで行くと実感しますね。
とにかく楽。それだけ。
副次効果として情報収集と、多少なりの繋がり。
そりゃあ、流行るわなぁ、って。
昔からウェブサイト以外は認めない、ブログもmixiもツイッターも外道だと思ってて、
今もその考えはあまり変わらないんですが、便利な道具は飽きるまで、使えなくなるまで使ってみます。

この場所を捨てる気はあんまりないです。っていうか、新しい場所に移すのが面倒なので。
じゃあ、日記を書くのか、というと、そんなに書かないです。
メインサイト・ツキノヒカリも完全放置ですしね、未完成なのに…。
このサイトは多分、なんらかの創作活動の置き場になると思います。
小説、あらすじまとめ、プラモ写真etc

見切るなら今です。このサイトに面白いことなんて書かれません。
だからツイッターを一番上に持ってきたくらいです…。
まだこのサイトを見てる人がいるらしいと聞いたので、
ツイッターをメインに置く更新のついでに日記を書いた次第です。
次いつ書くかわかりません。
毎日巡回とか時間の無駄になります。月一くらいでお願いします。
あー、まとまんないや。終わります。


試験運用と時間配分
2010/02/07/MON

新しいことを始める上で、やはり既存の形のままやっていては勿体無いと思うんですよね。
心機一転ってのが大切です。
そのためには、やはり、このウェブページも全然違う形にしたいと思うんです。
が、そのためにデザイン考えて、ソース作るよりは、
さっさと新しいことを始めてしまった方が時間の無駄が少ないとも思うわけです。
有限の資源をどう有効活用するか、それが人生永遠のテーマの一つじゃないでしょうか。
ああ、そんな重い話なんか聞いてない、そうですよね。

ということで、また構想段階というか、試験段階ですが、あらすじ図書館の試験ページ公開です。

あらすじ図書館 『植物図鑑』 有川浩

まだ形式とか全然考えていないので、自分用覚え書きを、メモをそのまま公開。
文章しか無いのでリンクとか、ページとか全然ないというか、考えてないので、
このままだと、後々大幅整理が必要になって、余計に面倒なことに……。

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新しいことを始めるにはキッカケが必要だと思うんです。
起爆剤がないと、自分は動けないんですよね。
今回の起爆剤はサークルの先輩なわけです。
そのエピソードがすごくいい話だったので、書き溜めて公開したいな、とか思ったんですが、
多分先輩なら、そんなことするよりも自分の為になることをやれと言うと思うので、
とりあえず、今あるあらすじストックを書き終えてから、あるいは息抜き程度の時に書こうと思います。

追伸
ツイッターに「サイト更新」って書いたらアクセス数がいつもの2倍あってびっくりw


一念発起、二律背反、三日坊主。
2010/02/06/SUN

小説は小説でしかなく、漫画は漫画でしかない。
その作品がその媒体であるのは、その作者が意図したものであって、
その作品の表現方法が、その媒体が最適だという判断を下したからにほかならない。
もしも、作者の妥協でその媒体が選ばれたというなら、それは作者の力不足でしかない。

優れた作品とは何か。
数多ある答え、その一つが『どう読んでもよい』ということにあると思う。
優れた作品は、読み手に解釈を委ねても、ある一定のテーマ・メッセージを伝えることができるものだ。
作品を読み下すということは、作者の頭の中にある空想を物理的媒体に出力されたものを、
読者が頭の中の想像で保管する作業の繰り返しによる。
だとすれば、そこには何度も情報が変換される中で、当然情報劣化が起きる。
そこで、劣化しても絶対に伝わるほどの頑強なテーマとメッセージを持った作品こそ、
『優れた』という評価を下せるのだ、と考える。

だが、それは、その作品が描かれた言語を母国語として操る者が、
あるいは第二言語として習得した者が読む場合にだけ適用される。

例えば、翻訳。
言葉とは記号であるが、それが持つ意味は一つではない。
ある言語を別のある言語に変換――翻訳をする際に、変換後の言葉の一切が、
変換後の文章が、変換前と全く同じである、ということはひどく困難だ。
故に、翻訳とは、『読み下した』訳者の頭の中に取り込まれた情報を、
再度物理的媒体、しかも別の言語として出力されたものである。
それは訳者の頭の中で解釈された物語であり、優れた作品であっても、
情報の劣化がメッセージ性をブレさせることもある。

別の言語とはいえ、同じ『言語』というステージにあるもの同士ですら、この有様である。
それが、全く別のステージのものだったらどうなってしまうのか。

例えば小説化。
絵とは普遍的なものではなく、記号的存在でありながら、文字以上に多くの意味を孕む。
それは読み手にとって、多くの解釈を生むものである。
それを、とある一人物の頭の中で『読み下した』映像を文章化することは、
解釈の自由を狭めて、そのとある一人物の解釈した作品を読むことになる。
その作品を読むことによって、読者はまた解釈する。
優れた作品は通常の『読み下し』の倍の情報変換を経て、劣化に劣化を重ねる。
そうしたとき、原作のメッセージを伝えることができるのは、
本当に優れた一握りの作品でしか無い。

漫画化、映画化、ドラマ化、ゲーム化。
だというのに、様々な翻案とでも言うべき媒体変換は多く行われてきた。
そこには数多ある意図、思惑があるが、恐らくそこには一つの理由から行われているだろう。
「この作品は優れている」
その理由から、数々の作品は、様々な形へと変化させられているのだ。
「この作品は優れている。だから変換しても問題ない」
「この作品は優れている。だから他の媒体を通してでも誰かに伝えたい」
根底にあるのは、きっとそんな想い。

だから、私も始めようと思う。
けれど翻訳や小説化なんて、大層なことをするわけではない。
ただ、それが優れている作品だと伝えるために、『読み下し』の道筋を提示するだけ。
優れた作品は、優れていない人間の手によって変換されれば、劣化どころか破壊される。
だから、私は変換ではなく、道筋を提示するだけ。

さぁ、この優れた作品を読んでくれ。


――ネタバレ満載メモ あらすじ図書館 開館予定。


年末
2010/12/29/WED

気付いたら年末ですね。あっという間です。

お久しぶりです。覚えていますでしょうか、Crescentと申します。
そもそも忘れている人はこのサイトの存在自体をお忘れかと思いますが。

年末にPCを触れる状況にない可能性があるので、今のうちに書いておきます。

今年度から大学に入り、それなりに忙しく、そんなに充実していない毎日を送ってきました。
充実はしていないのに、怠惰な生活をするばかりで時間は足りず、何も出来ない一年でした。
時間のない中、ツイッターは楽ですね。携帯からテキトーなこと書いて送るだけ。
サイトの更新が疎かになっていました。
そんな中、毎日10人ほどの方がこのサイトを見てくれているのには心が痛むばかりです。
もちろん、悪い意味ではなく、申し訳なく思うばかりです。
来年からは何かサイトも違う形にして行きたいと思っています。

そもそも私は日記サイトなんていう何も生み出さない形の文章を
書き続けることに意味を見出せなくなってしまいました。
そんなことだけしてるなら、ツイッターとかミニブログで十分ですからね。
なので、新しくサイトを作る際には今ある形式をぶち壊すような感じで行きたいですね。
その際にはこのサーバーやアドレスを捨てて、ゼロからひっそりと始めるかもしれませんが。
もしそうなったらごめんなさい。

とりあえずのところ、このサイトの更新頻度はガタ落ちですが、ツイッターには書いていますので、
私の生存確認したい時や、私の書いた文章を読みたいなんて酔狂な方がいらっしゃいましたら、
サイトの右にある奴を見てくださいませ。

何はともあれ、今年一年ありがとうございました。
生きている限り来年もよろしくお願い致します。


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